
6.たたら製鉄
島根県邑南町矢上の展望台から於保知(おおち)盆地を眺めると、田んぼの中に小さな山が点在している。この小山は「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」と呼ばれ、たたら製鉄の原料になる砂鉄を採取した名残だ。
数百年の歳月をかけて、山の稜線(りょうせん)を削り、砂鉄を採取した跡には田んぼを造り、社や墓など削れない場所が「丘」として残った。古代から明治時代まで続いたたたら製鉄の壮大さを実感できる中国山地を代表する風景だ。
中国山地は真砂土と言われる風化花こう岩が多く、3~5%の砂鉄(酸化鉄)が含まれている。山を崩して、土と水に混ぜ、重たい砂鉄を沈殿させて採取する。この工程を「鉄穴流し」という。山から出てくる石を積み、棚田を造成すると同時に、鉄穴流しの水路や池は、農業用の水路やため池に転用する。砂鉄採取と水田造成という一石二鳥の営みだった。
土で作った窯に木炭と砂鉄を投入し、3昼夜燃やし続け、純粋な鉄をつくるたたら製鉄。窯に風を吹き込み、燃焼を助ける送風装置として「天秤鞴(てんびんふいご)」が発明されたのは江戸時代中期ごろといわれる。足で踏んで、風を送る鞴の登場により、飛躍的に生産性が高まった。川本町川本の弓ケ峯八幡宮境内に「創天秤鞴の碑」があり、碑文には川本の老工・清三郎が考案したと記されている。
天秤鞴を踏む係を「番子」と言う。体力を要する作業を交代制で行ったことから「かわりばんこ」の語源になったといわれる。
明治初期の統計では、日本の鉄の8~9割程度は中国山地で生産され、各地に運ばれた。たたらのおかげで、中国山地は山奥まで居住空間が広がり、農工一体となった持続的な地域社会が形成されていた。大地と共存し、暮らしてきた中国山地の営みを想像しながら巡ると、何げない里山の風景も違って見えてくる。
写真1:展望台から望む於保知盆地。長年の鉄穴流しで山の稜線が削り取られ、田んぼが形成された
写真2:天秤鞴の発明者とされる清三郎の功績をたたえる「創天秤鞴の碑」


- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。