
草木が茂る里山に、今もぽっかりと口を開ける坑道。安芸高田市美土里町に隣接する島根県邑南町久喜・大林地区の久喜銀山遺跡は、2021年に国史跡に指定された鉱山跡だ。戦国時代以降、鉱脈に沿って掘り進んだ坑道が山の至る所に残る。その数は数千カ所にも上るといわれている。しかし、明治時代の採掘以降、町内でもその存在は忘れられがちだった。
戦国武将の毛利元就が採掘を進めた久喜銀山は、銀と鉛の鉱山で、毛利氏の中国制覇を支えた。銀は資金源となり、鉛も鉄砲の弾になるなど軍事面で毛利氏の快進撃の原動力になった。有望な銀鉱脈が掘り尽くされた後も鉛の採掘は続き、石見銀山(大田市)の製錬過程に使われた。
その後、明治時代には再開発が行われた。江戸時代では技術的に採掘が難しかった鉱脈を掘り進め、シルバーラッシュに沸いたが、やがて採掘は中止され、久喜銀山は歴史の中に埋もれていった。
その歴史を掘り起こす動きが始まったのが、07年の石見銀山遺跡の世界遺産登録だった。久喜銀山にも注目が集まったが、遺跡はほとんど未整備。久喜に住む森脇政晴さん(80)は「訪れたお客さんが『これが久喜銀山かぁ』と残念な顔をするんよ。それがしゃくに障って、住民たちで整備を始めたんよ」と振り返る。
住民が力を合わせ、遺跡を覆う樹木や草刈りに汗を流した。壊れかけた坑道の入り口を整備し、手づくりのイベントも開いた。住民の思いが行政を動かした。町の本格的な調査を基にこぎ着けた国史跡指定。地元住民たちによる「第三の発掘」だった。
住民たちがよわいを重ねる中、久喜地区以外の歴史好きな住民たちも加わって「久喜銀山ガイドの会」を立ち上げ、訪れる人たちに久喜銀山の栄枯盛衰の歴史を語り継いでいる。
写真1:久喜銀山遺跡を案内する森脇さん(右から2人目)ら「ガイドの会」のメンバー。住民の力で歴史的価値の「再発掘」を続けている
写真2:銀と鉛を抽出した後の鉱物「からみ」の堆積層を案内する森脇さん㊧


- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。