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石見神楽
民衆の舞 客席と心一つに

今月14日午後10時過ぎ、島根県邑南町久喜の小さな体育館で開かれた秋祭りの奉納神楽には、数年ぶりに150人以上が詰めかけていた。五つ目の演目「悪狐(あっこ)伝」が始まると、会場内は高揚感に包まれる。娘の姿から本性を現した悪狐が舞台を飛び降り、客席に分け入る。悪狐が小さな子どもを抱きかかえると、泣き叫ぶ子どもを親たちがスマートフォンで撮影する光景も見られ、会場は最高潮に達した。

この日の主役、美穂神楽団の源流をたどると、明治時代に安芸高田市美土里町生田の犬伏地区の有志5人が、町内の神楽が盛んな地域に出向いて12日間猛練習して習得したとされる神楽だ。当時、地元での初舞台は大にぎわいで、多額の花(寄付)も寄せられた。これを元手に広島で太鼓を求め、担いで帰ったと伝わる。

1955年には県境を越えた邑南町側の住民も加わり、美土里町の「美」、瑞穂町(現邑南町)の「穂」を合わせて美穂神楽団となり、今は邑南町久喜の体育館を本拠に活動する。

邑南町は石見神楽の源流とも言える地域。同町矢上の舞い方だった六調子の「矢上手」が広島県北広島町などに伝わり、邑南町阿須那で生まれた八調子の「阿須那手」が安芸高田市方面へ広がったとされる。近年の石見神楽は派手な演出を好む傾向だが、美穂は昔ながらの基本を受け継いでいる。

中本満団長(56)は「よそのまねではなく、美穂の神楽をぶれずに続けたい」と話す。中学生で入団した古川慎平さん(40)は、神楽団創設時の先輩から直接指導を受け、今は主力だ。「お客さんが拍手をくれた瞬間がなんとも言えない。これが美穂だ、と言われる舞を次世代につなげる」と意気込む。

今回の奉納神楽では、小学生や園児でつくる「美穂ジュニア」が初舞台。「恵比寿」を披露し、餅まきも行うと、会場は笑顔と歓声に包まれた。戦時中も、過疎が進む中でも続いた伝統の舞は、会場を埋めた観客の拍手と響き合いながら、次の世代に受け継がれる。

写真1:「山姥(やまうば)」の舞を終え、一礼する美穂神楽団の団員に会場から惜しみない拍手が送られた
写真2:悪狐が会場に降り立ち、客席を練り歩く

 

※このコラムは令和5年10月28日の中国新聞に掲載されたものです

≪メモ≫邑智郡では11月下旬まで、各地の例大祭や共演大会で石見神楽を楽しめる。神楽大会の詳しい情報は、川本町観光協会☎0855(74)2345、美郷町観光協会☎0855(75)1330、邑南町観光協会☎0855(95)2369へ。
もりた・いっぺい
1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。

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