
島根県川本町の江の川に沿って旧JR三江線の線路が今も残る。鹿賀駅と因原駅の間と、因原駅と石見川本駅の間の2カ所に、横から見ると漢字の「目」のように見える不思議な二つの橋が架かっている。現役の鉄道時代に見過ごされてきた橋が今、専門家の間で「貴重な土木遺産」として注目され始めている。
鹿賀―因原間が志谷川橋梁(きょうりょう)、因原―石見川本間にあるのが日向川橋梁だ。いずれも長さ6メートルの小さな橋で、1934(昭和9)年11月の三江線石見川越―石見川本間の開通に合わせて建設された。
注目すべきは、コンクリート製のラーメン構造。日本では橋はアーチ橋や桁橋が主流で、橋と桁が一体となって支えるラーメン構造は、この時代はまだ世界的にも普及したばかり。調査を行っている酒井雄壮さん(66)=邑南町阿須那=は「ラーメン構造が日本にまだほとんど普及していない時代に、こんな山の中の鉄道で使われていたなんて」と驚く。
2022年に三江線の跡地を活用してトロッコを運行するNPO法人江の川鉄道(邑南町)が製作した「三江線鉄道遺構図鑑」の発行に、県技術士会内の「鉄道遺構研究分科会」メンバーと共に関わり、「目の字ラーメン橋」に出合った。
別のメンバーは、国会図書館デジタルコレクションから関連資料を探し当てた。この二つの橋を設計した技術者が執筆した資料が見つかった。希少なコンクリートの使用量を抑えながら強度を保つ設計には、創意工夫が詰まっていた。
建設から90年たった今もコンクリートの表面はきれいなまま。酒井さんは「当時の技術者の進取の精神、創意工夫に驚いた。施工も非常に丁寧で、技術者の気概を感じる」と話す。鉄道遺構研究分科会は将来「選奨土木遺産」への指定を目指し、調査を続けていく予定だ。
写真1:横から見ると漢字の「目」のように見える志谷川橋梁。橋が完成した後、目の字の空間を利用して道路が建設されたとみられる
写真2:志谷川橋梁のコンクリートの表面はひび割れもなく、戦前の技術の高さをうかがわせる

※この記事は令和5年12月23日の中国新聞に掲載されたものです

- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。