邑南町

次の日祭り
謎多い巨大傘鉾 勇壮に

高さ5㍍、傘の直径4㍍の巨大な傘鉾(かさぼこ)が練り歩く「次(じ)の日祭り」が毎年5月21日、邑南町阿須那で催される。集落の男性たちが傘鉾を担ぎ、倒れないように四方から綱で引っ張って安定させながら、ときには倒れそうになって露天の屋根に引っかかると歓声が上がる。なぜこんな巨大な傘を担ぐのか、いつからこんな祭りが行われているのか、謎が多い。

次の日祭りの舞台となるのは、阿須那にある賀茂神社だ。京都の上賀茂神社の下社だ。1337年に足利尊氏が再建したとする文書が残っており、それ以前に賀茂神社はあったとされる。郷土史に詳しい、阿須那在住の日高亘さん(86)は「阿須那は当時、隣接する出羽地区の領主・出羽氏の侵攻を受け、上賀茂神社の社領地にしてほしいと要望した」とみる。続く戦乱に苦しんだ住民の願いが賀茂神社の招聘へとつながったとも考えらえる。ほぼ同じ時期、尊氏の配下だった武将・高橋氏が阿須那に赴任し、阿須那の地は平穏を取り戻していく。日高さんは「平穏を取り戻した住民の高橋氏や上賀茂神社への感謝の気持ちを込めたものではないか」と考えている。

この傘鉾は、地元では「京都ではやっていた風習をまねた」とされる。実際、京都の上賀茂神社で行われる葵祭では風流傘(ふりゅうがさ)と呼ばれる傘を祭りに用いる。別に京都の祇園祭では同じ名称を持つ「四条傘鉾」が登場するが、こちらは傘を台車に乗せて運んでおり、次の日祭りの傘鉾の確かな由来は不明のままだ。

5月中頃、住民は傘鉾の飾りの取り付けを始めるなど、祭りの準備が進む。地域は過疎化が進み、祭りも担い手不足が深刻になるが、祭りの起源がベールに包まれた謎の巨大傘鉾はことしも雄壮に町に繰り出す。

メモ 次の日まつりは5月21日昼ごろから神事が行われ、午後2時〜3時ごろに傘鉾が練り歩く。夜には賀茂神社で地元の雪田神楽団が神楽を奉納する。

※この記事は2024年5月11日の中国新聞に掲載されたものです
もりた・いっぺい
1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。

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