
邑南町阿須那の中心部から細い道路をたどると、山間の小さな集落に忽然と大きな楼門が現れる。「石見三門」と言われる、浄土真宗の寺の入り口に建立された楼門のうち、最も規模が大きい西蓮寺の楼門だ。
石見三門は、この西蓮寺のほか、同町市木の浄泉寺、浜田市旭町木田の正蓮寺の山門を指す。いずれも、江戸時代に旭町に滞在して腕を振るった長山(豊原)喜一郎が創建した壮麗な門だ。
西蓮寺は、江戸時代末期の1848年に上棟。金釘を一切使わず、部材はケヤキのみで、広く各地から取り寄せた。石見だけでなく、広島県内にも多くの門徒がいた西蓮寺。17代住職の口羽義秀住職(70)は、「この門を見ると建設当時の門徒の力の強さを感じます」と話す。
目を見張るのは、門の各所に見える彫刻。棟梁の喜一郎や弟子の手によるものと伝えられ、竜、獅子、極楽鳥、鶴など一つ一つが微細で、躍動感にあふれる。地元では、門の正面に彫り込まれた「雲竜」が、夜な夜な集落を流れる谷川に水を飲みに出たという言い伝えも残るほどだ。
西蓮寺は1560年、この地を治めた毛利の武将・口羽通良(くちばみちよし)が創建、当時は真言宗だったが、口羽氏が、織田信長軍と戦った石山本願寺を支援した縁で、浄土真宗に改宗したと伝わる。
西蓮寺の「謎」は、この門が未完成であること。扉などがなく、最終段階で工事が止まったようにも見える。口羽住職は「途中でお金がなくなったとよく言われるが、門徒の力が急に弱くなることは考えられないので、為政者の何らかの力が働いたのではないか」と想像する。
近くには「天空の駅」と呼ばれる旧三江線宇都井駅もあり、山頂付近にそびえ立つ山門は、言うなれば、「天空の門」といった趣だ。
写真(いずれも佐々木創撮影)
1枚目:山間の小集落に忽然と現れる大きな西蓮寺の門=島根県邑南町阿須那
2枚目:雄壮な竜の彫刻が見られる浄泉寺の門=島根県邑南町市木

※このコラムは2024年6月8日の中国新聞に掲載されたものです

- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。