
島根県邑南町井原地区にある断魚渓は、途方もない自然の力の感じられる場所だ。4㌔にわたり、川の流れが巨大な岩盤をえぐるさまは、周囲の四季の移り変わりと共に、岩と水が織りなす果てしない営みを体感できる。
断魚渓は3,000万〜4,000万年前、日本列島がユーラシア大陸から分離していなかった時代から地表に露出した岩の塊が川の浸食を受けてできた。上流部は凝灰岩、下流部は流紋岩が露出。比較的柔らかい凝灰岩は丸みを帯び、固い流紋岩は亀裂が入ったようにみえる。
景観に先人も魅せられた。断魚渓を世に知らしめたのは、井原地区で生まれた野田愼(1844〜1899)。明治時代の漢学者で私塾を開いて人材育成に努める一方、歌集「断魚渓題詠集」とを出版し、特に景色のよい場所に「断魚渓二十四景」と名付けてPRした。私財を投じ、交通の難所だった断魚渓に馬車道を切り開き、観光開発に力を尽くした。
断魚渓の名を一気に高めたのは、邑南町出身の小説家・小笠原白夜(1873〜1946)。断魚渓を舞台にした「嫁ヶ淵」は、大阪毎日新聞に1907年から74回連載され、映画にもなった。その後、観光開発も進み、かつては料亭や温泉もあり、観光名所として名をはせたが、今はすべての施設が閉鎖されている。
二十四景は、小説にもなった嫁ヶ淵、増水すると「どんどん」と太鼓をたたくような音が響く「神楽淵」、岩が細くえぐれて雨どいのように水が流れる「岩樋川」、広い岩盤の「千畳敷」など見所は多い。新緑や紅葉の時期にはカメラを持った観光客が訪れる。
地元の歴史に詳しい宮田博さん(75)は、野田氏の功績などを語り継ぎながら、住民らで遊歩道の草刈りをしながら景観を守る。「かつての賑わいはないが、長い時間をかけて岩を削る自然の力はすごい。地元の誇りです」と話す。
写真(撮影はいずれも佐々木創)
写真1:固い流紋岩が長い時をかけて削られてできた断魚渓=島根県邑南町井原
写真2:凝灰岩が削られてできた「嫁ヶ淵」は、明治時代に小説の舞台になった=島根県邑南町井原

※このコラムは2024年6月22日の中国新聞に掲載されたものです

- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。