
島根県川本町の山中にある温湯(ぬくゆ)城跡は、川本に本拠を置いた戦国武将・小笠原氏が1300年代に築いた山城だ。毛利氏の猛攻を受けて陥落するまで、200年以上にわたって江の川中流域を治めた。断崖の上に築かれた山城後は、標高200㍍ほどの山頂に本丸を構え、周囲には敵を迎え撃つためのさまざまな工夫が凝らされており、戦国時代の山城の特徴を今に伝えている。
源氏の流れをくむ小笠原氏は、鎌倉時代末期に四国から川本に入ったとされ、他の小笠原氏と区別するため「石見小笠原氏」とも言われる。戦国時代は、毛利氏、大内氏、尼子氏など強敵に挟まれながら、奮闘したが、1559年には毛利氏に攻められ降伏する。ただ、江の川や石見銀山に近い要衝の地に200年間にわたって城を維持したことからみても、地形を生かして攻めにくく守りやすい城だったことが見て取れる。
温湯城は、標高がそれほど高くない山の尾根に本丸を置き、本丸を中心に200㍍×600㍍の範囲に敵の侵入を防ぐための「竪堀」が築かれている。崖の途中に「寺屋敷」「馬洗場」「マトバ」など、数十㍍四方の平地が何カ所も造成され、今もくっきりとその地形を確認することができる。山の上に砦を造る、まさに「戦国時代の城」の特徴を備えている。
山城跡の山の所有者でもある会下忠治郎さん(82)を中心に有志で登山道の草刈りなどをしてきた。近年は、山の整備も追いつかない状況だが、植林されたヒノキの間を縫う登山道は今もくっきりと残り、登ることができる。子供の頃には「3日と空けず登って遊んだ」という温湯城跡。幼心に「ここで合戦があったのか」と思いをはせていた場所が、山城ブームで脚光を浴びる現状に「何ともうれしい思いです」と笑う。
撮影はいずれも佐々木創
写真1:石見小笠原氏が200年間にわたって本拠を構えた温湯城の本丸跡=島根県川本町川本
写真2:切り立った斜面の途中に平地が造成されている「マトバ」跡。近づく敵に弓矢を放ったのかもしれない=島根県川本町川本

※この記事は令和6年9月14日の中国新聞に掲載されたものです

- もりた・いっぺい
- 1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。