美郷町

石州左官の鏝絵
厳しい暮らしから生まれた技

島根県美郷町惣森に隠れた「鏝絵」がある。今は人が通らなくなった峠道をたどると、蔵だけが残った民家跡に着いた。残った蔵の2階の雨戸を格納する戸袋に見事なトラ。漆喰で描かれた山根家の鏝絵だ。隣の川本町の石州左官・荻原春市が昭和初期に手掛けた。裏に回ると、別の戸袋に滝を登るコイも描かれていた。

案内してくれたのは、近くで工務店を営む倉橋勝二さん(67)。大工として古民家の再生を手がける傍ら、まちづくりの活動にも取り組み、家主不在となった山根家の鏝絵を見守ってきた。

土壁を用いた民家が当たり前だった時代は、地域に必ず左官がいた。明治時代に洋風建築に漆喰塗りを施す建築が盛んになると、腕のよい石州左官が全国に散らばり、東京では国会議事堂や丸の内のビル群に関わっていく。「石見は農地が少なく、次男以下は手に職をつけて出稼ぎした」と倉橋さん。生き抜くために腕を磨いた石州左官は、国内はもとより台湾や大連などに出掛けた。「左官の神様」と呼ばれた松浦栄吉(1858〜1927)は大田市馬路の出身。邑南町出身で、兵庫県で活躍する品川博氏ら、石州左官の名は今も全国で語り継がれる。

島根県内にも約300点の鏝絵が見つかっているが、石見地方東部に集中。全国に出掛けて稼いだ左官が、感謝を込めて地元の寺社に奉納した例も多い。図柄も龍、天女、鶴亀、恵比寿など縁起のよい図柄が多く、美郷町では粕渕の林家、潮村の中原家、邑南町の満行寺の鏝絵も有名だ。

山根家の蔵は劣化が進み、訪れたときには壁が崩れかけていた。倉橋さんは「この土地に生まれた文化を残していくことこそ、地域づくりにつながる。なんとか残したいが、、、」と話す。厳しい土地が生んだ技を伝えることもまた難しくなっている。

 

写真1:山根家の土蔵に描かれたコイの滝登りの鏝絵を眺める倉橋勝二さん=島根県美郷町惣森
写真2:山根家の土蔵に描かれた虎の鏝絵=島根県美郷町惣森

《メモ》島根県内の鏝絵は、「鏝なみはいけん」(渡部孝幸著)に詳しい。同名のホームページでも場所や図柄、制作年代などが掲載されている。山根家の鏝絵についての問い合わせは、倉橋さん(090・3747・3127)へ。

※この記事は令和6年12月28日の中国新聞に掲載されたものです
もりた・いっぺい
1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。

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