美郷町

中原家と芳煙
旧家に残る天才画家の絵

島根県美郷町潮村に建つひときわ大きな民家が、国の登録有形文化財に指定された中原家住宅だ。江戸時代末期の建築。2023年に指定されたのは、主屋、新座敷、土蔵、門と塀の4件。いずれも「旧家の風格を示す建物」と評価され、今も石州瓦葺きの大屋根を見ることができる。

古文書によると、中原家は江戸時代初期に現在の広島県三次市から現在の潮村に移り住み、たたら製鉄を営んだ。今もこの家に暮らす15代当主の中原義隆さん(94)は「文化財に指定され、歴史の重みを感じながら暮らしています」と話す。

中原家にはもう一つのストーリーがある。明治時代にこの家に「天才」と呼ばれた日本画家が誕生した。その名は、中原芳煙(ほうえん、本名・佐次郎、1875~1915)。幼少のころから絵が得意で、高校を卒業後、上京後に東京美術学校(現東京藝術大学)に進学する。義隆さんによると、家族の反対を押し切って「家出同然」だった。しかし、上京後に頭角を現し、鋭い観察眼と微細なタッチで、シカなどの動物を描き、博覧会で高い評価を受けた。

母と妹が相次いで亡くなる不幸があり、30歳のころ帰郷した芳煙は、自宅のふすま絵を数点描いた。その一つ「松樹図」は、生家の庭にあったマツの枝が早朝に月明かりを浴びる柔らかな光が表現されている。義隆さんの祖父の弟にあたり、39歳で早世した芳煙と会うことはかなわなかったが、義隆さんが「子供の頃はふすま絵がある部屋に入ると怒られていた」と話すように、100年経っても大切に維持された。

毎年、地元の小学生が中原家を訪れ、芳煙のことを学ぶ。たたらを営んだ旧家と、そこに生まれた天才画家。江の川のほとりの小さな集落に刻まれた歴史は地域の人々の誇りだ。

 

撮影は佐々木創
写真1:中原家の仏間のふすまに、芳煙が描いた「松樹図」を眺める中原義隆さん=島根県美郷町潮村
写真2:国の登録有形文化財に指定された中原家の主屋や蔵=島根県美郷町潮村

《メモ》中原芳煙は2015年の没後100年を記念して、美郷町内で展示会が開かれたことを契機に再評価され、その後、江津市の今井美術館、松江市の島根県立美術館で相次いで展示会が開かれた。

※この記事は令和7年1月11日の中国新聞に掲載されたものです
もりた・いっぺい
1968年、島根県邑南町生まれ。地方紙記者を経て、JR三江線の廃止を機に帰郷。町役場で働きながら、NPO法人江の川鉄道の設立に加わり、廃線跡にトロッコを走らせる。年間誌を発行する「みんなでつくる中国山地百年会議」事務局長。江の川流域広域観光連携推進協議会のメンバーとして広報を担当する。邑南町在住。

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